介護
2006年01月17日
あるケアマネ失格者の醜態
がっかりしました。
ケアマネージャーのこの言葉を、あなたはどう思うでしょうか。
「要支援、要介護1で、不安になるなって言うのよ」
この方は女性です。女性から発せられるこういう言い方は、言葉以上に強烈に感じます。
さて、なぜ彼女がこういう言葉を発したかというと、ある御利用者さんが支払わなければならない自費分の金額の大きさに不安になっていると、私が伝えたところから始まりました。そのAさん(要支援)は、手術のため入院する間、ご主人(要介護1)がショートステイを利用され、入院が予定より長引いてしまったため、そのショートステイの延長分が自費分として発生したのでした。Aさんご夫妻は生活保護を受けていて、とても一度にその金額を支払うことは出来ないのです。
ケアマネージャーが休みのときに、そういう情報を得た私は、そのAさんのところに行き話を聞きました。たしかにその金額は大きく、不安になるのはもっともだと思いましたが、じつはAさんの不安の本質は、その奥に隠れているのだということに気づきました。Aさんは、ケアマネジャーから年が明けて、一本の電話もこないことに大きな不安を抱いているのでした。きっとAさんはなんだか見捨てられていると感じていたのだと思います。私は新年のご挨拶をしていましたが、要であるケアマネから何のコミュニケーションもとられてこないことに不安を感じるのは当然だと思います。
Aさんの望みはとにかくケアマネジャーに話を聞いてほしいということだったのです。それで、とにかくAさんの話を聞いてあげてください、ということをケアマネジャーに伝えたところ、さっきの言葉が出てきたのです。
私はあきれるとともに、がっかりしました。
この人は利用者を何だと思っているのだろう。その言葉の端には利用者を下に見る傲慢さと、人を馬鹿にした態度がのぞいていました。この人にケアマネにあるまじき差別的な本質を感じました。いまさら「何様だ?」という気持ちも起きませんが、果たしてこういう人がケアマネという重要な役目をしていていいものだろうかと思います。
さらに、この人は自分の不備を考えるどころか、「そういうことは市役所に言うべきよ。なんでもケアマネに持ってきてほしくないわ」と開き直ったのです。あーあ、なんなんだろう。
ケアマネというもののおさらいをすると、利用者が自立した生活をするうえで支障のあるところを「社会的資源を活用」して、その支援を行う、というものでしょう。市役所の福祉課とか、そういうものも「社会的資源」ではないですか?あなたがそこにつなげていくのも仕事ではないですか?それがマネジメントというものではないですか?
マネジメントを行っていくためには、十分に利用者とコミュニケーションをとり、そのニーズを探り、それに答えていくという姿勢がとても大事だと思います。もちろんその中には不安を和らげるということも含まれていると思うのです。それはケアマネ云々ではなく、人間としての当然の心配りだと思います。
それなしでは、ケアマネジメントなど出来るはずがありません。
未熟であるにもかかわらず、自分でそのことに気づけないでいる人が、ケアマネジャーという仕事につくことほど、周りにとっても、その本人にとっても不幸なことはありません。
このケアマネは、自分の職務としての相談・援助というものをどう考えているのでしょうか。誰か教えてください。
ケアマネージャーのこの言葉を、あなたはどう思うでしょうか。
「要支援、要介護1で、不安になるなって言うのよ」
この方は女性です。女性から発せられるこういう言い方は、言葉以上に強烈に感じます。
さて、なぜ彼女がこういう言葉を発したかというと、ある御利用者さんが支払わなければならない自費分の金額の大きさに不安になっていると、私が伝えたところから始まりました。そのAさん(要支援)は、手術のため入院する間、ご主人(要介護1)がショートステイを利用され、入院が予定より長引いてしまったため、そのショートステイの延長分が自費分として発生したのでした。Aさんご夫妻は生活保護を受けていて、とても一度にその金額を支払うことは出来ないのです。
ケアマネージャーが休みのときに、そういう情報を得た私は、そのAさんのところに行き話を聞きました。たしかにその金額は大きく、不安になるのはもっともだと思いましたが、じつはAさんの不安の本質は、その奥に隠れているのだということに気づきました。Aさんは、ケアマネジャーから年が明けて、一本の電話もこないことに大きな不安を抱いているのでした。きっとAさんはなんだか見捨てられていると感じていたのだと思います。私は新年のご挨拶をしていましたが、要であるケアマネから何のコミュニケーションもとられてこないことに不安を感じるのは当然だと思います。
Aさんの望みはとにかくケアマネジャーに話を聞いてほしいということだったのです。それで、とにかくAさんの話を聞いてあげてください、ということをケアマネジャーに伝えたところ、さっきの言葉が出てきたのです。
私はあきれるとともに、がっかりしました。
この人は利用者を何だと思っているのだろう。その言葉の端には利用者を下に見る傲慢さと、人を馬鹿にした態度がのぞいていました。この人にケアマネにあるまじき差別的な本質を感じました。いまさら「何様だ?」という気持ちも起きませんが、果たしてこういう人がケアマネという重要な役目をしていていいものだろうかと思います。
さらに、この人は自分の不備を考えるどころか、「そういうことは市役所に言うべきよ。なんでもケアマネに持ってきてほしくないわ」と開き直ったのです。あーあ、なんなんだろう。
ケアマネというもののおさらいをすると、利用者が自立した生活をするうえで支障のあるところを「社会的資源を活用」して、その支援を行う、というものでしょう。市役所の福祉課とか、そういうものも「社会的資源」ではないですか?あなたがそこにつなげていくのも仕事ではないですか?それがマネジメントというものではないですか?
マネジメントを行っていくためには、十分に利用者とコミュニケーションをとり、そのニーズを探り、それに答えていくという姿勢がとても大事だと思います。もちろんその中には不安を和らげるということも含まれていると思うのです。それはケアマネ云々ではなく、人間としての当然の心配りだと思います。
それなしでは、ケアマネジメントなど出来るはずがありません。
未熟であるにもかかわらず、自分でそのことに気づけないでいる人が、ケアマネジャーという仕事につくことほど、周りにとっても、その本人にとっても不幸なことはありません。
このケアマネは、自分の職務としての相談・援助というものをどう考えているのでしょうか。誰か教えてください。
あるケアマネ失格者の醜態
がっかりしました。
ケアマネージャーのこの言葉を、あなたはどう思うでしょうか。
「要支援、要介護1で、不安になるなって言うのよ」
この方は女性です。女性から発せられるこういう言い方は、言葉以上に強烈に感じます。
さて、なぜ彼女がこういう言葉を発したかというと、ある御利用者さんが支払わなければならない自費分の金額の大きさに不安になっていると、私が伝えたところから始まりました。そのAさん(要支援)は、手術のため入院する間、ご主人(要介護1)がショートステイを利用され、入院が予定より長引いてしまったため、そのショートステイの延長分が自費分として発生したのでした。Aさんご夫妻は生活保護を受けていて、とても一度にその金額を支払うことは出来ないのです。
ケアマネージャーが休みのときに、そういう情報を得た私は、そのAさんのところに行き話を聞きました。たしかにその金額は大きく、不安になるのはもっともだと思いましたが、じつはAさんの不安の本質は、その奥に隠れているのだということに気づきました。Aさんは、ケアマネジャーから年が明けて、一本の電話もこないことに大きな不安を抱いているのでした。きっとAさんはなんだか見捨てられていると感じていたのだと思います。私は新年のご挨拶をしていましたが、要であるケアマネから何のコミュニケーションもとられてこないことに不安を感じるのは当然だと思います。
Aさんの望みはとにかくケアマネジャーに話を聞いてほしいということだったのです。それで、とにかくAさんの話を聞いてあげてください、ということをケアマネジャーに伝えたところ、さっきの言葉が出てきたのです。
私はあきれるとともに、がっかりしました。
この人は利用者を何だと思っているのだろう。その言葉の端には利用者を下に見る傲慢さと、人を馬鹿にした態度がのぞいていました。この人にケアマネにあるまじき差別的な本質を感じました。いまさら「何様だ?」という気持ちも起きませんが、果たしてこういう人がケアマネという重要な役目をしていていいものだろうかと思います。
さらに、この人は自分の不備を考えるどころか、「そういうことは市役所に言うべきよ。なんでもケアマネに持ってきてほしくないわ」と開き直ったのです。あーあ、なんなんだろう。
ケアマネというもののおさらいをすると、利用者が自立した生活をするうえで支障のあるところを「社会的資源を活用」して、その支援を行う、というものでしょう。市役所の福祉課とか、そういうものも「社会的資源」ではないですか?あなたがそこにつなげていくのも仕事ではないですか?それがマネジメントというものではないですか?
マネジメントを行っていくためには、十分に利用者とコミュニケーションをとり、そのニーズを探り、それに答えていくという姿勢がとても大事だと思います。もちろんその中には不安を和らげるということも含まれていると思うのです。それはケアマネ云々ではなく、人間としての当然の心配りだと思います。
それなしでは、ケアマネジメントなど出来るはずがありません。
未熟であるにもかかわらず、自分でそのことに気づけないでいる人が、ケアマネジャーという仕事につくことほど、周りにとっても、その本人にとっても不幸なことはありません。
このケアマネは、自分の職務としての相談・援助というものをどう考えているのでしょうか。誰か教えてください。
ケアマネージャーのこの言葉を、あなたはどう思うでしょうか。
「要支援、要介護1で、不安になるなって言うのよ」
この方は女性です。女性から発せられるこういう言い方は、言葉以上に強烈に感じます。
さて、なぜ彼女がこういう言葉を発したかというと、ある御利用者さんが支払わなければならない自費分の金額の大きさに不安になっていると、私が伝えたところから始まりました。そのAさん(要支援)は、手術のため入院する間、ご主人(要介護1)がショートステイを利用され、入院が予定より長引いてしまったため、そのショートステイの延長分が自費分として発生したのでした。Aさんご夫妻は生活保護を受けていて、とても一度にその金額を支払うことは出来ないのです。
ケアマネージャーが休みのときに、そういう情報を得た私は、そのAさんのところに行き話を聞きました。たしかにその金額は大きく、不安になるのはもっともだと思いましたが、じつはAさんの不安の本質は、その奥に隠れているのだということに気づきました。Aさんは、ケアマネジャーから年が明けて、一本の電話もこないことに大きな不安を抱いているのでした。きっとAさんはなんだか見捨てられていると感じていたのだと思います。私は新年のご挨拶をしていましたが、要であるケアマネから何のコミュニケーションもとられてこないことに不安を感じるのは当然だと思います。
Aさんの望みはとにかくケアマネジャーに話を聞いてほしいということだったのです。それで、とにかくAさんの話を聞いてあげてください、ということをケアマネジャーに伝えたところ、さっきの言葉が出てきたのです。
私はあきれるとともに、がっかりしました。
この人は利用者を何だと思っているのだろう。その言葉の端には利用者を下に見る傲慢さと、人を馬鹿にした態度がのぞいていました。この人にケアマネにあるまじき差別的な本質を感じました。いまさら「何様だ?」という気持ちも起きませんが、果たしてこういう人がケアマネという重要な役目をしていていいものだろうかと思います。
さらに、この人は自分の不備を考えるどころか、「そういうことは市役所に言うべきよ。なんでもケアマネに持ってきてほしくないわ」と開き直ったのです。あーあ、なんなんだろう。
ケアマネというもののおさらいをすると、利用者が自立した生活をするうえで支障のあるところを「社会的資源を活用」して、その支援を行う、というものでしょう。市役所の福祉課とか、そういうものも「社会的資源」ではないですか?あなたがそこにつなげていくのも仕事ではないですか?それがマネジメントというものではないですか?
マネジメントを行っていくためには、十分に利用者とコミュニケーションをとり、そのニーズを探り、それに答えていくという姿勢がとても大事だと思います。もちろんその中には不安を和らげるということも含まれていると思うのです。それはケアマネ云々ではなく、人間としての当然の心配りだと思います。
それなしでは、ケアマネジメントなど出来るはずがありません。
未熟であるにもかかわらず、自分でそのことに気づけないでいる人が、ケアマネジャーという仕事につくことほど、周りにとっても、その本人にとっても不幸なことはありません。
このケアマネは、自分の職務としての相談・援助というものをどう考えているのでしょうか。誰か教えてください。
2006年01月15日
近況
節目というのは人生の中で大事なことですが、あまり重く捉えるのもどうかと思います。馬鹿騒ぎするのもたまにはいいですが、頻繁にあると、本当に馬鹿になってしまいます。節目というのは、何か決意をする“時”と捉えたいと思います。そのことはきっと、人生を豊かにしてくれることでしょう。
さて、近況を記すことにします。実は昨年11月からとある訪問介護事業所のサービス提供責任者をしています。ヘルパーの仕事に「ただいま」という感じですが、戻ってみて、理想と現実のギャップに、たじろいでいたというのが実情です。机上での論理がいくら優れていたとしても、人間同士の現実は複雑ですから、いろんなことが当然起き、見失いそうになります。ただ、理想というものを、目がくらみそうになりながらも必死に見つめていけば、徐々に方向がそちらに向かっていくんだ、そう実感している現在です。
本当にしょうもないケアマネなども、なんだか引っ張られて、そちらに向かいつつあります。本人は気づいていないでしょうが。
ああ、そういえば、本当に「しょうもないケアマネ」というのは、自己中心的で、しかもそのことに本人が気がついておらず、利用者を翻弄しているケアマネのことです。たいてい自分はエラいと思っています。
本当に「偉い」ケアマネとは、利用者のことを親身に考えている人です。それを理解している人は、なんだか少ないような気がします。そういうこと、ヘルパーも、利用者も見抜いてしまうということを、ケアマネージャーをしている人は知るべきですね。それが理解できないケアマネはやめるべきです。だって、それでは誰も幸せにならないですから。ケアマネさん、あなたも幸せにならないのですよ。
で、この言葉。トラックバックします。
近況
節目というのは人生の中で大事なことですが、あまり重く捉えるのもどうかと思います。馬鹿騒ぎするのもたまにはいいですが、頻繁にあると、本当に馬鹿になってしまいます。節目というのは、何か決意をする“時”と捉えたいと思います。そのことはきっと、人生を豊かにしてくれることでしょう。
さて、近況を記すことにします。実は昨年11月からとある訪問介護事業所のサービス提供責任者をしています。ヘルパーの仕事に「ただいま」という感じですが、戻ってみて、理想と現実のギャップに、たじろいでいたというのが実情です。机上での論理がいくら優れていたとしても、人間同士の現実は複雑ですから、いろんなことが当然起き、見失いそうになります。ただ、理想というものを、目がくらみそうになりながらも必死に見つめていけば、徐々に方向がそちらに向かっていくんだ、そう実感している現在です。
本当にしょうもないケアマネなども、なんだか引っ張られて、そちらに向かいつつあります。本人は気づいていないでしょうが。
ああ、そういえば、本当に「しょうもないケアマネ」というのは、自己中心的で、しかもそのことに本人が気がついておらず、利用者を翻弄しているケアマネのことです。たいてい自分はエラいと思っています。
本当に「偉い」ケアマネとは、利用者のことを親身に考えている人です。それを理解している人は、なんだか少ないような気がします。そういうこと、ヘルパーも、利用者も見抜いてしまうということを、ケアマネージャーをしている人は知るべきですね。それが理解できないケアマネはやめるべきです。だって、それでは誰も幸せにならないですから。ケアマネさん、あなたも幸せにならないのですよ。
で、この言葉。トラックバックします。
2005年09月19日
敬老の日
久方ぶりの書き込みです。m(__)m
今日は敬老の日です。
厚生労働省によると100歳を超えた人は約2万5000人とのこと。すごい数です。ちなみに90歳以上は100万人を超えています。さて、人口統計では65歳以上を高齢者としていますが、遂に国民の20%が高齢者ということになりました。
しかし、ちょっとまわりを見回してみると、そんなにお爺ちゃんお婆ちゃんが増えたようには感じません。どうしてでしょう?きっと高齢者の枠が低すぎるためと思われます。確かに40年ぐらい前の65歳は、お爺ちゃんお婆ちゃんでした。でも、今の65歳は当時と比べると、驚くほど若いのです。うちの父はついこの前75歳になりましたが、見た目に、ようやく年寄りめいたところが出てきたかと思える程度です。おそらく父が特別ではないでしょう。僕は山が好きでよく山登りをしますが、80歳のおじいちゃんが平気な顔をして登ってきたりします。介護の現場ばかり見ていると、そっちのほうに目を奪われますが、ちょっと見渡すと元気な高齢者はかなりいるのですね。
今後団塊の世代が次々にこの中に仲間入りしていくわけですが、もっと変わってくると思います。私がヘルパーの実習で行ったあるデイサービスに、年齢は聞きませんでしたが、見た目に若い(ちょうど団塊の世代ぐらい)利用者がいて、電動4輪車で通ってきて、施設内にあるカラオケで、浜田省吾を歌うという方がいました。まさか介護の現場で「ハマショウ」を聞くとは思いませんでした。びっくりしました。その方は片麻痺があったようでしたが、着るものや持ち物にもこだわりがあっておしゃれでした。そういう方がこれからどんどん増えてくるんだろうな、と漠然とそのときは思ったのでした。
これから介護を必要とする高齢者も必要としない元気な高齢者も、どちらも増えるわけです。できることなら元気な人が多いほうがいいわけですが、そういう人が元気でい続けられるシステム、つまりそういう人が必要だといえるシステムを、ハード、ソフト両面で作っていかなくてはならないと思います。それは遠い未来のことではなく、すぐ間近に迫っていることなんですよね。
もちろん介護の現場も変えていく必要はあるわけですが。
今日は敬老の日です。
厚生労働省によると100歳を超えた人は約2万5000人とのこと。すごい数です。ちなみに90歳以上は100万人を超えています。さて、人口統計では65歳以上を高齢者としていますが、遂に国民の20%が高齢者ということになりました。
しかし、ちょっとまわりを見回してみると、そんなにお爺ちゃんお婆ちゃんが増えたようには感じません。どうしてでしょう?きっと高齢者の枠が低すぎるためと思われます。確かに40年ぐらい前の65歳は、お爺ちゃんお婆ちゃんでした。でも、今の65歳は当時と比べると、驚くほど若いのです。うちの父はついこの前75歳になりましたが、見た目に、ようやく年寄りめいたところが出てきたかと思える程度です。おそらく父が特別ではないでしょう。僕は山が好きでよく山登りをしますが、80歳のおじいちゃんが平気な顔をして登ってきたりします。介護の現場ばかり見ていると、そっちのほうに目を奪われますが、ちょっと見渡すと元気な高齢者はかなりいるのですね。
今後団塊の世代が次々にこの中に仲間入りしていくわけですが、もっと変わってくると思います。私がヘルパーの実習で行ったあるデイサービスに、年齢は聞きませんでしたが、見た目に若い(ちょうど団塊の世代ぐらい)利用者がいて、電動4輪車で通ってきて、施設内にあるカラオケで、浜田省吾を歌うという方がいました。まさか介護の現場で「ハマショウ」を聞くとは思いませんでした。びっくりしました。その方は片麻痺があったようでしたが、着るものや持ち物にもこだわりがあっておしゃれでした。そういう方がこれからどんどん増えてくるんだろうな、と漠然とそのときは思ったのでした。
これから介護を必要とする高齢者も必要としない元気な高齢者も、どちらも増えるわけです。できることなら元気な人が多いほうがいいわけですが、そういう人が元気でい続けられるシステム、つまりそういう人が必要だといえるシステムを、ハード、ソフト両面で作っていかなくてはならないと思います。それは遠い未来のことではなく、すぐ間近に迫っていることなんですよね。
もちろん介護の現場も変えていく必要はあるわけですが。
敬老の日
久方ぶりの書き込みです。m(__)m
今日は敬老の日です。
厚生労働省によると100歳を超えた人は約2万5000人とのこと。すごい数です。ちなみに90歳以上は100万人を超えています。さて、人口統計では65歳以上を高齢者としていますが、遂に国民の20%が高齢者ということになりました。
しかし、ちょっとまわりを見回してみると、そんなにお爺ちゃんお婆ちゃんが増えたようには感じません。どうしてでしょう?きっと高齢者の枠が低すぎるためと思われます。確かに40年ぐらい前の65歳は、お爺ちゃんお婆ちゃんでした。でも、今の65歳は当時と比べると、驚くほど若いのです。うちの父はついこの前75歳になりましたが、見た目に、ようやく年寄りめいたところが出てきたかと思える程度です。おそらく父が特別ではないでしょう。僕は山が好きでよく山登りをしますが、80歳のおじいちゃんが平気な顔をして登ってきたりします。介護の現場ばかり見ていると、そっちのほうに目を奪われますが、ちょっと見渡すと元気な高齢者はかなりいるのですね。
今後団塊の世代が次々にこの中に仲間入りしていくわけですが、もっと変わってくると思います。私がヘルパーの実習で行ったあるデイサービスに、年齢は聞きませんでしたが、見た目に若い(ちょうど団塊の世代ぐらい)利用者がいて、電動4輪車で通ってきて、施設内にあるカラオケで、浜田省吾を歌うという方がいました。まさか介護の現場で「ハマショウ」を聞くとは思いませんでした。びっくりしました。その方は片麻痺があったようでしたが、着るものや持ち物にもこだわりがあっておしゃれでした。そういう方がこれからどんどん増えてくるんだろうな、と漠然とそのときは思ったのでした。
これから介護を必要とする高齢者も必要としない元気な高齢者も、どちらも増えるわけです。できることなら元気な人が多いほうがいいわけですが、そういう人が元気でい続けられるシステム、つまりそういう人が必要だといえるシステムを、ハード、ソフト両面で作っていかなくてはならないと思います。それは遠い未来のことではなく、すぐ間近に迫っていることなんですよね。
もちろん介護の現場も変えていく必要はあるわけですが。
今日は敬老の日です。
厚生労働省によると100歳を超えた人は約2万5000人とのこと。すごい数です。ちなみに90歳以上は100万人を超えています。さて、人口統計では65歳以上を高齢者としていますが、遂に国民の20%が高齢者ということになりました。
しかし、ちょっとまわりを見回してみると、そんなにお爺ちゃんお婆ちゃんが増えたようには感じません。どうしてでしょう?きっと高齢者の枠が低すぎるためと思われます。確かに40年ぐらい前の65歳は、お爺ちゃんお婆ちゃんでした。でも、今の65歳は当時と比べると、驚くほど若いのです。うちの父はついこの前75歳になりましたが、見た目に、ようやく年寄りめいたところが出てきたかと思える程度です。おそらく父が特別ではないでしょう。僕は山が好きでよく山登りをしますが、80歳のおじいちゃんが平気な顔をして登ってきたりします。介護の現場ばかり見ていると、そっちのほうに目を奪われますが、ちょっと見渡すと元気な高齢者はかなりいるのですね。
今後団塊の世代が次々にこの中に仲間入りしていくわけですが、もっと変わってくると思います。私がヘルパーの実習で行ったあるデイサービスに、年齢は聞きませんでしたが、見た目に若い(ちょうど団塊の世代ぐらい)利用者がいて、電動4輪車で通ってきて、施設内にあるカラオケで、浜田省吾を歌うという方がいました。まさか介護の現場で「ハマショウ」を聞くとは思いませんでした。びっくりしました。その方は片麻痺があったようでしたが、着るものや持ち物にもこだわりがあっておしゃれでした。そういう方がこれからどんどん増えてくるんだろうな、と漠然とそのときは思ったのでした。
これから介護を必要とする高齢者も必要としない元気な高齢者も、どちらも増えるわけです。できることなら元気な人が多いほうがいいわけですが、そういう人が元気でい続けられるシステム、つまりそういう人が必要だといえるシステムを、ハード、ソフト両面で作っていかなくてはならないと思います。それは遠い未来のことではなく、すぐ間近に迫っていることなんですよね。
もちろん介護の現場も変えていく必要はあるわけですが。
2005年02月15日
2005年02月14日
介護事業は何に投資するのか
「人材を育てたって、どうせいつかは辞めるので育成に投資するのは損」と思っている経営者がとても多いことは事実。 続きを読む
2005年01月31日
チャレンジド
アメリカでは、障害を持つ方をChallenged(チャレンジド)と呼ぶそうです。「挑戦すべきことを与えられた人々」ということだそうです。
そこから逆に考えてみました。
では、私たちには、挑戦すべきことがないのか?
続きを読む
そこから逆に考えてみました。
では、私たちには、挑戦すべきことがないのか?
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